[5] 谷川岳と湯檜曾川を歩く
高崎の研究所で話をした2005年の秋だった。仕事のPCと資料,
それから山の道具は重かった。PCは山歩きにはいらないが,
それをコインロッカーに忘れるのは困るため持ち歩いた!
翌日は7時過ぎの電車で出かけた。土合駅に着く初電であり,
特急はすでに存在しない。地下ホームに着いて10分間で地上駅に
上がったのが8時半ころ。上りホームではすでに2番目の電車が
出発した後だった。駅前に出て , 湯檜曽川の橋梁を渡りトンネル
から出て土合駅に着く上越線の様子を観察した。E.1)
川に沿い歩き, 白毛門への入り口を右に分け, 湯檜曾川を右岸に
渡った。坂を上り土合口のゴンドラ乗り場を過ぎ, 水平になり, 国道
291号の旧道を歩いた。マチガ沢あたりからは静かな山旅になった。
ゆっくり歩いて周りの写真を撮った。一ノ倉沢出会に11時ころ
に着いた。この時期でも小さくなった雪渓を持ち, 難しい岸壁群
が広がり, 遙か上の岸壁ではクライマーが登る姿が見えた。
大学生のときは頂上から見た景色を, 今は一ノ倉沢から見上げて
いた。林道には自動車が入れ, 郵便局の車が郵便切手などを
販売していた。そこでは山はアトラクションの一つに過ぎない。
その後, 電気自動車だけが運転され, 一般車両は禁止となった。
秋のやや暑い季節であり, 先へ歩いた。幽ノ沢や芝倉沢では
道が沢と峰沿いを大きく巻いていた。帰り時間があるため,
指導標に従って川沿いの新道へ下ると, 途中で電力会社の
見張り小屋があった。雷や降雪の冬は送電線の保守の仕事が
多いだろう。なお新道は芝倉沢のさきで道が崩壊していて,
蓬峠へは旧道で行く (崩壊箇所数mは補助ロープを掴めば
行けるようだが, 自分の判断で決める)。稜線を見上げると,
上信越の国境がこの間越しに見えた。
河原の近くで湯檜曽川沿いの新道に出た。この道は川に
近く, 荒れていて沢を越えられないところは巻き道を行った。
土合口の駐車場から, 夕刻の白毛門や笠ヶ岳が静かな威容
を持ち鎮座していた。E.2)
Note:
E.1) 国道291号の経緯については, Note: B.2) を参照。
午前8時33分発の土合駅下りが初めての電車。今では未明の
電車は存在しない。家から車で谷川岳麓の駐車場が今のスタイル。
土合口から先は簡易舗装で電気バス以外の車は通行できない。
もとは砂利敷で林道に車は入れず。
E.2) 最後の上り電車は午後6時19分発。水上で10分後の18:44発,
高崎着19:48。新幹線で20:00発で東京着20:56で, 大阪なら間に合う。
[6] 奥秩父 金峰山から甲武信ヶ岳へ
小海線の信濃川上駅で電車を降りて, 北側から金峰山へ登り, 東の
国師岳, 距離が長い甲武信ヶ岳へ, そして南側の笛吹川に下山した。
2001年の頃であったが, 朝に金峰山から初めての稜線を歩き, 早くに
大弛峠で1泊した。前国師岳と国師師岳を過ぎて, そこから甲武信ヶ岳
への間は歩く人は各方向へ1人ずつだった。多くは国師岳, または
金峰山の往復を行い, 峠からは舗装道路で車により下山している。
まず地図を読むと, 国師岳と国師のタルは標高差が450 m程度,
水平距離 (頂上平坦部0.3 km) は3.0 kmである。因みに国師岳と
甲武信ヶ岳は約13 kmであり, 東側は低く標高が2475 mである。
国師岳から北東向きに急降下するが, 小さな平坦部が幾つかあった。
そこの先からは東向きとなり, 樹林帯は静かでよい環境であったが,
多くの倒木があった (2025年歩いた人の記録では倒木は同じ程度)。
小さな倒木は上をまたいで越せたが, 倒れた長い木では進めずに
横を迂回していった。
東側から今日一人だけの40歳くらいの登山者が疲れた様子で,
「こんにちは」と挨拶した。「この先まだ続くのでしょうか?」
私は, 「これを登りきれば国師岳です, 1時間はかかるでしょう」と
答えた。国師のタルを過ぎた平坦部のあたりであり, 国師岳へは
早くて1時間半はかかるだろう... 霧が深く鬱蒼としたコメツガの樹林
と苔で蔽われ岩が, 静かな世界を表わしていた。
国師のタルと甲武信ヶ岳までには小さな登りと下りが各6回あって,
その先が甲武信ヶ岳だった。まだ知らない道ではあったが, 標高では
下がっていくのだが, 最後は急な登りであることは前回の梓山からの
登山で知っていた。似たようなピークには名前が書いてあった。
富士山が見える「富士見」の先の高台では快晴になり, もう一人の
50歳位は同じ方向で, 休憩中に抜いていった。南方の低い峰として
黒金山とその尾根が奥秩父連峰の国師岳と向き合っていた。
記憶を戻して高校1年生の初夏頃のころ, 朝早く丘を登ると朝日が
水平線上に輝き, 下方には乳牛を放牧する牧場があった。それは一枚
の絵を眺める牧歌的な風景だった。そこからは大きな岩がある乾徳山
を登頂した。そこから先は鬱蒼とする樹林のなかに入り, より高度が
高い黒金山に着いた。そこは樹林を出て草原となっていて, 気持ちが
良い場所だった。遙か北方には遠くに大きな山を望むことができた。
それが奥秩父の国師岳であることは推定できたが, そこに自分で
立つのは30年の月日が経っていた。
国師岳から甲武信ヶ岳は4時間から5時間が標準時間だが, 山を楽しみ
食事を入れると5時間くらいか?ほかに大弛峠からは国師岳には1時間
かかっていた。ゆるやかな平坦部にさしかかった。北の梓山から西沢
渓谷沿いに千曲川源流地帯を通り, その道が稜線で合わせて約15分
の登りで甲武信ヶ岳頂上に立った。以前の梓山からの道は歩きやすい
道であったが, 頂上は円錐形の頂点であり広くはなかった。東向きは
樹々でよく見えなかったが, ここの頂上の標柱は非常に高く無粋なもの
(3 m程度)で, テーマパークを思わせるものだった。
甲武信ヶ岳から歩いてきた西方を望むと, 山稜がゆっくり背を伸ばして
いき, そこには国師岳の大きく広がった峰々が見渡せた。少し右側には,
大きな金峰山とその山稜があった。大弛峠は分けている金峰山と国師岳
の影になり見えなかった。なお峠は標高差で240 m程度である。
東側の肩にある甲武信小屋に着いた。しばらく時間があり休憩して,
夕食はいつものカレーライスだった (2泊目でもカレーなので, 自炊か
キャンプ泊を薦める)。電灯はなく灯りは高さ40 cm程度のガラス製
吊ランプがあり, 昭和30年台では山小屋で使われたが, この小屋では
定番であった。
最後の日は雨で濡れた幻想的な雰囲気であった。しばらくは北斜面
を行き, 稜線に出て, そこからは南側に高度を下げていった。鶏冠山は
甲武信ヶ岳の南稜線であり, 高度を下げていった。笛吹川に急降下する
道は短い時間で行け, 徳ちゃん新道といった。二千メートル付近での
シャクナゲの季節はあるが, それ以外は面白味がない。しかし, 東京
方面から来るか帰るときは, 中央線に早く着ける利点はあった。
なお, 甲武信ヶ岳小屋から雁坂嶺, 雁坂峠, 西沢渓谷バス停は5時間
であり, 一部は岩稜であり, 雁坂峠から先は長い道だそうだ。
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国師岳 (左)と金峰山 (右)。2つの背後の高い山は形から間の岳 (3190 m) か?
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