



北へ進む新道と上の道を行く旧道。雪で曲がった道標
静かな新道。沢が渡れないときは巻道で
尾瀬の旅と思い出
新幹線上毛高原駅は谷川岳の土合駅から約20 kmの南にあり, 上越線
沼田駅を経由して, 尾瀬への出発点として利用されている。沼田駅から
の道は, 昔は長い時間がかかり満員の登山者を載せてバスが運転された。
道幅は狭く車の行き違いが難しいところがあり, 時にはバスを後退
させた。砂利敷か泥の未舗装だった。ここでは何回か訪れた尾瀬の
行動や思い出などを述べよう。1)
初めの尾瀬では, 大清水は尾瀬沼の群馬県側の入り口にある。
これは沼田街道と呼ばれ, 沼田市から檜枝岐村, 会津地方を結ぶ街道
であった。急な山道になり, 尾瀬沼までは山越えであり, 歩いて約3時間
かかった。途中の石清水は水が湧いて流れ落ちるところで, 休憩の
場所に良いところだった。坂を三平峠 (昔は尾瀬峠)で越えると湖畔が
広がり, 尾瀬沼の長蔵小屋があった。そこからはポンポン蒸気船で
尾瀬沼を対岸の沼尻へ渡った。尾瀬沼の上から見ると, 燧ケ岳(2356 m)
は複数の火山の峰が聳え, 子どもの眼には大きな存在だった。
ところで, 水芭蕉やニッコウキスゲが美しい尾瀬だが, 尾瀬ヶ原に
巨大ダムを作る計画は聞いたことがある。その話をまとめよう。
最初に, 環境保全を考えて反対したのは平野長蔵(初代の長蔵小屋主)
で, 単身ながら行動した。壮大なダム建設は1920年前に始まり, 歴代
首相が計画を進めた。尾瀬沼から南の沼尻川への水門は1949年に
完成した。只見川と利根川に開発の範囲を広げて, 戦後の1960年
までに奥只見ダム, 田子倉ダムが完成した。更にスーパー林道は
三平峠と沼山峠で工事が進められた。一方, 文部省と厚生省が計画に
反対で, 水資源の県ごとの対立があり, 社会的関心が昭和30年代に
高まった。こうして尾瀬ヶ原のダム計画は1966年に事実上中止,
尾瀬沼の渡船は翌年に廃止された。案は毎回更新はされたが, 1996年
に東京電力は尾瀬原ダム案を撤回した。福島県の沼山峠バス停から
は尾瀬沼に片道で1時間20分で楽にアクセスできるが, これはスーパー
林道の”遺産”である。尾瀬水門は高低差を利用した送水管がある。2)
物理学者である私には, 火力, 原子力に負のイメージがあり, また
化石資源は温暖化の元で, 1世紀程度で有限である。しかし水力事業
には, 自然を大切にする一環がある。水力発電は風力発言/太陽発電と
並び, 再生可能エネルギー(Renewable energy) の天からの恵みである。
昼から「ナデッ窪」 (なだれの巣) と呼ばれる日陰の道を急登した。
深く掘れた道は覚えてはいるが, この部分の登りは3時間以上かかった。
頂上は噴火で作られた双耳峰であり, 東北地方と以北において最高峰
である (これは初めて知った)。二つの頂上は柴安嵓と俎嵓であり, 道順
によると東側の俎嵓に登る。長英新道と合流して, つぎに西側の柴安嵓
になる。眼下には先ほど船で渡った尾瀬沼, これから行く西の尾瀬ヶ原が
見下ろせた。
しばらく休憩してから, 柴安嵓から赤田代へ向かう手入れされていない
急な下り道で, 細かい礫が崩れる暗い道だった。温泉小屋へ続く歴史的
な道は, 平成8年に廃道となった (年が変わる新年度は, 笹が茂って道が
使えなくなる)。地理院地図を見ると, 燧ケ岳から赤ナグレ岳よりはるか
手前で赤田代へ続く道は消えている (Gallery830 第2図)。
温泉小屋には本物の温泉があり, カルシウム硫酸塩冷鉱泉の摂氏24度
が源泉である。その晩御飯では野草の天ぷら - 人参, 玉ねぎとふき, 海苔
の天ぷら - は, 以来家の食事メニューになり, そして思い出であった。3)
翌朝の尾瀬ヶ原は秋のよい日和だった。湿原から静かに流れ落ちる
平滑ノ滝を過ぎ, 下流にある堂々と落ちる三条の滝では飛沫を浴びて
見た。三条の滝までは片道で1.5 kmくらい。一度宿へ戻り, 荷物を受け
取り出発した。4)
尾瀬沼からも直接に来れる見晴十字路で右に曲がり, 尾瀬ヶ原を
進んた。もう一つの南の入り口に繫がる龍宮十字路で休んだ (バスは
廃止, 6)。ここの龍宮と呼ばれる現象は, 川の水が一度は消え, 少し
離れたところで水が湧き出る。初夏山ノ鼻から東へ尾瀬ヶ原を横断した
晴れたとき。龍宮現象で水が湧き出るところを確認した。この周辺には
多くの小屋が集まっている。なお, 2列並行の木道は右側通行で, 1列の
ときは登り方向が優先である。
至仏山は隆起した非火山性の山で, 池塘との調和が非常に美しく
見える中田代に着いた。5月のやや盛りを過ぎた水芭蕉と至仏山が
一緒に見え写真を撮影したことがある。その次は, 樹林が両方から
尾瀬ヶ原に入り, 湿原が非常に狭くなった上田代の牛首に着いた。
初めの秋は曇っていて, 遠い景色の記憶はなかった。しかし, 川沿い
の木々の紅葉, そしてぽっかり眼をあけた池塘群が綺麗だった。
植物ごとに色の違いがわかる池塘をすぐそばまで近づき, そして
しばらく休憩した。いまでは木道から向こう側へは入れない。
山ノ鼻近くでは川が氾濫したところがあって, ズック靴が地中に
潜った。山ノ鼻に着いて, 天皇が泊まられた「小屋」を親が選んだ。
私たちが泊まったのは満員で, 粗末な夕食を出す "小屋" だった。
今も数百円安い宿泊料金で山ノ鼻地区の2番目に表示してあるが,
建物が古く隣部屋の音が聞こえる等。1番目の美しいシャレ―造り
の至仏山荘 (東電系列) は当時からあり, 私は2度宿泊した。5)
至仏山に登ったのは, 初めのときと大学生のときの2度ある。
東向きの尾瀬ヶ原では穏やかだが、反対方向を見ると崖が切り
立っていて, 非対称な山容であることを確かめた。白馬岳の東斜面
の崖と同じである。秋が深まってきたときで, 霧の中に高山植物
が少し見られた。あまり展望が得られないので, 鳩待峠へ向った。
今は周回が反時計周りと決められ, 頂上から山ノ鼻へは降りられ
ない。山の植生を尾瀬湿原に持ち込まないためである。
コースを半分周って, 最低高度である鳩待峠に着いた。林道で
あるが, このときはバスは来でいなかった。2度目は戸倉へ下りた。
初回では標高を上げていき, 傾斜湿原の横田代に, そして湿原の
広がるアヤメ平に着いた。初夏はあやめが綺麗というが, 秋は
一面が枯れた草原だった。すぐに富士見平に着いた。十字路から
南に下る山道を, 富士見下のバス停まで寒い雨を歩いて行った。6)
尾瀬の成り立ちについて(要約)
”数万年前に燧ケ岳の噴火により只見川や沼尻川がせき止められ、
尾瀬ヶ原と尾瀬沼が誕生した。尾瀬ヶ原の湿地は10年で1 cmの
厚みになるが, 粘土層とミズゴケの働きにより, 7000万年かけて
水を持つ低層湿原から, ミズゴケが枯れた高層湿原になった。”
(https://www.tepco.co.jp/rp/oze/deai/structure-j.html)
最後の尾瀬に行ったのは2005年頃で, 上毛高原駅から戸倉へ
到着し, バスに乗り継いで鳩待峠に入った。快晴で, 1時間ほど
ゆるい下りの坂道を行くと, 湿原の日陰で, 水に浮かぶ幾つかの
白い妖精の水芭蕉に出合った。山ノ鼻の至仏山荘にザックを
置いたのは午後2時くらいか。午後の光を浴びた上田代からは,
まばゆい湿原の向こうには燧ケ岳が霞んでいた。
翌日は尾瀬ヶ原で, 龍宮十字路から北に歩き, 東電小屋を経由
して見晴十字路で合流, 東の尾瀬沼へと進んだと思う。東電尾瀬橋
付近がダム堰堤(約900 m) の場所と考えられる。幾つかの田代は
湿原が美しく, 道のない景鶴山は眺めると笹山だった。しかし,
天気がよい尾瀬ヶ原では夏の日で暑かった。見晴十字路から狭い
段小屋坂の川に沿って300 mほど登り坂を行く。背よりも高い2 m
ほどの葦が, 尾瀬ヶ原から出た斜面でびっしり自生していた。右岸
を一定の高度に達すると, 白砂湿原のワタスゲが咲き, さらに広い
尾瀬沼湿原である沼尻平に入った。
尾瀬沼を北沿いに森に入る午後の時間には, たゆたう光が時折
見える湖水の上で乱反射した。広い草原の浅湖湿原に出ると, いま
満開を迎えたニッコウキスゲの群落, タテヤマリンドウ, うす紫の
縦に花をつけるハクサンチドリ, 水辺に咲く紫のカキツバタ ...
(名古屋の鶴舞公園では紫のハナショウブなどの群落が有名)。
長蔵小屋の近くで三差路となり, 福島県と群馬県に別れている。
北に広がる大江湿原が大きく広がり, その北の端まで木道を往復
したが, 湿原はここが最高に綺麗であった。長蔵小屋に戻りザック
を置いた。そして湖畔にたたずみ, 静かに平和なときを過ごした。
いままで一番美しかったのは, 長蔵小屋の近くの尾瀬沼のほとり
の夕暮れの情景。夕日が西に静かに沈み, 小鳥が小さく鳴きながら
大きな空がセピア色に染まりゆく。鳥が鳴き止み, 夜があたりを
包み込む。きょうの長い一日が幕を閉じる。
今は観光地化であり鳩待峠はマイクロバスが乗り入れている。
昔を知っている登山者には, 山を越えて見た尾瀬沼と尾瀬ヶ原
それぞれには, 小さな思い出がある。
土合駅上り線の駅舎
462段+20段, 10分間の上り坂 (下を見ている)
土合駅下り線から発車した電車 (単線)
Note:
1) 現在沼田駅から大清水へのバスは8:45から13:05の5本, 上毛高原駅
からは沼田駅を経由して, 8:15, 9:37, 10:15の3本のみ。鳩待峠は戸倉から
マイクロバスで14:30発, 夏は15:30発が最終,。駐車は有料で, 11月3日
以降は閉鎖される。帰りは, 大清水13:15発で, 上毛高原駅15:09着が最終。
沼田駅着ならば, 大清水が15:55発で, 手前である戸倉からは18:55発,
沼田20:17着が最終である (ネットで検索できる)。
2) "尾瀬ヶ原ダム計画", https://ja.wikipedia.org/wiki/尾瀬原ダム計画
ロックフィルダム, 堤高85 mで, 3番目の只見川上流のダムを計画した。.
尾瀬沼には水門が1949年に完成。今は沼尻川に水利調節を行う。
3) 温泉小屋道は尾瀬ヶ原へ直接下りられる道で, 私たちも利用した。
その後は荒れていて廃道となった。尾瀬ケ原に通じる見晴新道もドロ道
でスパッツが必要だそうだ。登山道開拓史―燧ケ岳, 星段吉氏が拓いた
「温泉小屋道」 (2025)。なお,, 燧ケ岳への道では比較的に普通である
長英新道があり, 登り時間は3時間15分。直登するナデッ窪ルートと
長蔵小屋から時間的に変わらないが, ずっと下に尾瀬沼が見られる。
4) 尾瀬沼へ行き, それから沼山峠へ行く場合は1時間20分。バスで
会津田島駅まで2時間20分。今年2026年は6月1日から10月25日。
沼山峠15:10発, 17:30着会津田島駅, 同駅17:48発特急, 浅草21:05着
(ネット検索)。
5) 今の宿泊料金は高くなり、尾瀬では1名2食付きで14,000円 (素泊まり
10,000円)から。素泊まりが2食付きと余り変わらない点に注目しよう。
昔の小屋では1畳2人が当たり前の宿泊であり, 東電小屋では, 定員の
2倍の600人の宿泊者を泊めた話を聞いた。いまは定員90人で尾瀬ヶ原
が楽しめるそうだが, 時を感じる。
6) 富士見下のバス停(と駐車場は廃止された (2017)。アヤメ平の植生
保護が理由で, 南入り口として尾瀬沼の大清水と尾瀬ヶ原の待峠が
アクセスできる。鳩待峠からアヤメ平, 富士見峠は尾瀬の秘境である。
なお, 至仏山北方から景鶴山などは1970年ころに東電系列に持ち主が
変わり, 入山禁止となっている。
土合橋バス停, 白毛門の入口
清水トンネルを出て土合駅。湯檜曽川を上流へ
旧道を一ノ倉沢へ。一時期は車が通った
芝倉沢へ向かって
夕刻の笠ヶ岳と白毛門。上り午後の土合駅は12:41, 14:33, 15:33,
18:19。午後3時半の電車に乗って湯檜曾川を後にした

芝倉沢近くで上越国境の山々

2005 Fall, Fuji Provia 100F、Canon EOS3 28-135 mm

https://www.tepco.co.jp/en/rp/oze/index-e.html, at TEPCO
尾瀬ヶ原と至仏山。池塘のまわりの草は枯れている秋である。
芝倉沢手前の芝倉沢見張所


一ノ倉沢出合い駐車場 (いまは閉鎖)
マチガ沢と一ノ倉沢の間からの朝日岳(左),
笠ヶ岳と白毛門(右)。旧道は川より高いところを行く

幽ノ沢の遠望

[右側ページ] 雲取山と本白根山, 初めての谷川岳, (山岳部の)芝倉沢の雪技訓練, (大学生の)谷川岳
と茂倉岳の縦走, 水上温泉の研究会, 初秋の谷川岳と湯檜曽川, [左側ページ] 尾瀬の旅と思い出。




[1] 雲取山と本白根山
奥多摩の雲取山 (2017 m) は, 東京, 山梨, 埼玉の県境である。
私が5歳のときで, 東京都の最高峰の登山最小年齢の記録だ, と小屋
の若い頭領が言っていた。三条の湯から徒歩30分で別の支流に入り,
青岩谷の右岸の青岩鍾乳洞に着いた。まず三条の湯の人が扉の鍵を
開いた。上に1枚セーターなどを羽織り, 暗がりや狭いところを
懐中電灯で照らしながら進んだ。約800 mほど奥で洞窟が広がり,
鍾乳石や石筍のオブジェを見た。洞窟内は非常に寒く, 子供だった
私を入り口まで送ってくれた頭領を覚えている (彼は最奥までもう
一度戻った)。
山の西側から山梨県の稜線に達し, そこから自分で登頂した2000 m
峰が雲取山だった。山頂は広く, 稜線の遠くには東京方向が見降ろ
せた。その晩は少し下ったところにある大きな雲取山荘に泊まった。
朝になって, 埼玉県の北側を進み, 小さな峰を越えていった。これに
は4時間はかかったが, 2つの狛犬がある三峯神社に下りた。ところで,
ケーブルカーに乗っただろうか?歩くならば神社を北東に向けて荒川
の大輪村に下る道がある。
その後, 鍾乳洞は途中の道が度々崩壊した。現在は東京都水道局が
管理者であり, 道を含めて鍾乳洞は一般禁止になっている。A.1)
その次には, 長野県境に近い群馬県の本白根山 (2171 m) と湿地
をもつ弓池であった。出発点はわからないが, 草津町から5ー6 kmの
距離である。晴れの夏で, 火山の荒れた硫黄の臭気が立ち植物が
育たない溶岩の土壌だった。活動中の火山には登りたくないものだ。
山から北に下って, 水がせき止められた火口湖の弓池に着いた。
30分で一周すると湿性植物が楽しめるらしい。宿泊は夫婦・家族
向けのバンガロー群で, 夕食は自分で作る自炊だった。使う薪を
売っていたが, キャンプで使う缶入り固形燃料でご飯を炊いた。A.2)
Note:
A.1) https://physique.isc.chubu.ac.jp/Gallery800-1.html
青岩鍾乳洞の様子。三峰ロープウェイは老朽化で, 2006年初夏
に廃止。夏も涼しいところだが, 復活には今後も人が来るか?
秩父電鉄の反対があり, お花畑駅での乗り換えが普通 (1969年
秋から西部秩父駅を開業したが, 乗り入れは土休日のみ)。
A.2) https://physique.isc.chubu.ac.jp/Gallery800-3.html
草津白根山は活火山である。スキー客が多い2018年1月に
前触れなく噴火して, 火口の一帯は入山禁止となった。
火山は面白く見る風潮があったが, 本白根山のゴンドラから
100 mに火口の一つが形成された。現在は地震微動は見られ
ないが, 草津町殺生と万座三差路間は規制の注意。
[1'] 初めての谷川岳
6,7歳の頃で, 土合からロープウェイに乗り, 谷川岳の天神尾根
を登った。それに比べて, 谷川岳は子どもには本格的山登りだった。
土合山の家を朝に出発して, 秋で晴れから午後は曇りになった。
なだらかな道が頂上へ続いていたが, 前景が迫り尾根がリッジ状の
ところがあった。手巻きの8mm Movie (8mmで半分終わると, リール
を反転して撮影, 手間がいった) で幾度と同じシーンの撮影を行って
いた。午後2時から3時ころ, 霧雨の降り出したなかを谷川岳頂上に
近い肩の小屋に着いた。
天気が急に変わるのは谷川岳では多くあり, 外は霧で寒かった。
ところで, 素泊まりでも水は雨水(天水) を利用しており, 貴重品で
あり, お茶はもらえなかった (山岳部員の筆者ならば理解できる)。
そこの頂上を踏むことはなく, すぐに下山を決めた。谷川岳の
頂上はこのときは夢に終わった。A.3)
曇りの同じ尾根を下ったが, ロープウェイの最終便には間に
あわず, 途中の熊の穴避難小屋から右に行く急な道を水上温泉
へ降りて行った。日がとっぷり暮れた午後6時すぎ, 1軒だけの
谷川温泉にとにかく辿り着いた。しかし宿泊を断られた, 所謂
老舗旅館であった。タクシーが人を降ろして, そのあと水上駅へ
向ったが, 意外と近かった。水上市街は駅前から大きなメイン
ストリートがなだらかに下り坂が続き, 夜でも電燈が明るい町
だった。今の時刻表を見ると, 下り電車は17時42分と20時52分
であり, 土合駅まで最終に乗車したと考えられる。
Note:
A.3) 谷川岳の稜線では水は枯れている (2025年)。肩の小屋
では雨水に依っている。もし登頂したときは, 同じ天神尾根を
下山か, 北の尾根を行き土樽駅を目指したのだろうか?
コースの, 肩の小屋-避難小屋-二股-谷川温泉で記載
されて, 急下降の避難ルートである。谷川温泉から水上町へ
は徒歩で約30分。
[2] 芝倉沢での雪技訓練
付属高校の西の端は高台になっていて, 音羽坂の傾斜地が続いて
いた。その上には富士山と丹沢の蛭が岳, 右には奥秩父の山々が,
その右端には遠く秩父の武甲山が見えた。放課後の部活では校外
ランニングを行い, そして最後の筋力トレーニングで, 山の景色は
天気が良い時の副産物だった。B.1)
土合駅の下り線は地下深くに1967年秋に開通したが, これの翌年
の高校山岳部のときであった。東京上野駅を夜行に乗ったのだろう。
午前4時ころ, 土合駅の地下ホームに朝早く到着して, 地下階段を重い
横長の "ザック" (荷物。今では人に迷惑とならないヨーロッパの縦長
タイプ) を背負って地上に出た。いきなり10分のきつい歩荷だった。
そのまま歩いて川を渡り, 丘を登って, 水平に続く "旧道" を行った。
夜が明けていき, 約30分でマチガ沢出合のキャンプ場(単に道沿い
のスペース) にテントを設営した。B.2)
そしてサブザックを背負い, 1時間くらい歩き, 芝倉沢の旧道出合
に着いた。ここで8本爪アイゼンをはき, 1 kmほど上流, 右岸の支流が
開けた雪渓に到着した。まず雪斜面の歩行を繰り返し行い, それから
ピッケルとアイゼンを履いた滑落防止の訓練を行った (5月では普通
アイゼンは必要ないが, 冬を想定しての訓練)。4月下旬の通年行事
であり, 訓練では喉が渇き, 休憩に水や特製パンを食べた。
テントに戻って夕食を作った。メニューはカレーと思われるが,
普通カレーを使わなかった (重い理由で)。片付けを済まして, 山の
歌をみんなで歌った。大正時代の創作という付高山岳部の部歌を
合唱した。「それ...茗渓を見れば 我らが力あり, 梓川... 蝶が岳,
思い出すは懐かしき, かの連岳君見ずや」(一部不確か)は,
穂高岳や槍ケ岳を指す歌だった。夜寝ていると嵐 (ストーム)が
襲来したが, よい思い出であった。B.3)
翌年の4月, 別団体の一人がピッケル片手で滑降の真似事 -
グリセード - をして大岩を乗り越えてクレバスの隙間に転落,
まるで映画を見ているようだった。教訓として, 雪技技術は
ピッケル操作を確実にマスターするためである。
3年目は準OBで, いつもの雪渓での訓練のほかに, 白毛門
を目指した。積雪が結構あったクマザサの静かな道であった。
風が直接に当たるピークの手前で引き返した。
Note:
B.1) 高台の坂になっている麻布の家からは夕方の富士山の
濃い姿がよく見えた。西の高台に同じ名前の某フィルムのビルが
立ち見えなくなった。
B.2) 旧道の国道291号は, 山を越えた清水峠の先で終わっている。
明治18年9月, 皇族や官僚などが開通を祝い一級国道となった。
しかし翌月の台風で道が崩壊, たび重なる雪崩で清水峠から先は
復旧されず,この区間は廃道となった。(Wiki 清水峠 を参照)
B.3) OBたちは寒く水を飲まなかったが, 高校生の訓練を
見守った。早大と日大の人, 30歳の人もいて賑わっていた。
30年後の5月に, 残雪期の奥穂高岳に登頂したが, アイゼンと
ピッケルを使用, とくに下山に必要だったのは, 高校山岳部
のお陰である。
[3] 谷川岳から茂倉岳の縦走
マチガ沢の旧道出合から遡行を開始して, 西黒尾根の中間地
に合流して, 谷川岳を目指す大学生の一人旅だった。初夏前の
強い雨で電車が一時止まった。夜になってからすぐ北側にある
土合山の家に泊まった。線路を超えずに国道291号に出られた。
翌日は快晴で, マチガ沢の右岸の道を登った。中ほどから左手の
尾根道の「サンゲ岩」の下で合流して, 3大急登の岩稜風の道を
登った(3大急登と呼ばれる)。何カ所かにはロープが張られ, 天気が
よく爽快だった。すぐ背後には白毛門から続く稜線が見えた。
午後3時ころに, 3つの道が交わる肩の小屋に着いた。C.1)
夕暮れには時間があったので, 谷川岳のオキの耳へ行った。
霧であり, 南向きで広く傾斜した草原である小屋に戻った。
小屋はまだ増築をしない単純な造りだった。晩の御飯として
アルファ米チャーハンと食後にカルピス飲料だった。
3日目は霧であった。近い頂上であるトマノ耳に登り, そして
15分離れた最高点のオキノ耳 (1977 m) に立った。そこからは
少し下った岩稜を注意深く歩いて行った。一段低くなった鞍部が
あり, 谷を見下ろす「覗き」があった。はるか下に一ノ倉沢の雪渓
といくつも折り重なる岩稜がかすかに見えた。そこから北側に
登り返すと, 笹竹に覆われた一ノ倉岳に着いた。横にカマボコ型
の3畳位の避難小屋があったが, 霧で印象はなかった。秋の
紅葉では, トマノ耳とオキノ耳の秀峰の写真で見たことがある。
悪場をすでに過ぎ茂倉岳のあたりに来ると, 霧がゆっくり消えて
いった。雨上がりの7月半ばの9時ころで, 斜光に歩く後光が射して
いた。2時間の稜線の山旅。ハクサンイチゲ(白), シラネアオイ(紫),
シャクナゲなど, まばゆい黄色の植物に取り囲まれた。西に方向を
変えて, 茂倉新道を快調に行った。そして初めて新潟県の土樽駅に
下山した。C.2)
Note:
C.1) 燧ケ岳(2356 m)は 谷川岳(1977 m) から, 東北東, 水平距離
33 km。福島県以北では最高峰。晴れであり見えたはず。
C.2) 下り時間は山と渓谷誌では約3時間となっている。
この先には松川環状ループがあり, 上り線のトンネルである。
[4] 水上温泉の研究会
まだ高温プラズマの研究だけを行っていたときである。
水上温泉の町で短い研究会を行い, 午後は公式のオフタイム
とされ, ホワイトバレーみなかみ (1986開設, 名称変更は2024年)
でスキーを行った。研究と遊びが渾然一体という風潮だった。
谷川岳の下山で通った二股から東隣にあるスキー場である。D.1)
Note:
D.1) 多くの理論があるが, 地球後方での磁気リコネクションを
証明した (JCP, APS 1995)。はじめにデバイ長を越えた計算機
シミュレーション法を開発した。そして, 電子, 陽子が慣性運動で
別々に究極点へ収束して, それがそこを脱出することを示した。
もし物理が好きであれば解説します。
「谷川岳と湯檜曾川」の写真はこのページに表示しますが,
文章は Gallery803.html に書きました。
Go to Gallery803 (次ページへ続く)



芝倉沢手前を行く旧道。清水峠を越えて終わる国道291号

https://tsukasan.hiho.jp/2017/170715ozegahara.htm#_pagetop
ガイド@宇都宮 7月の尾瀬沼と燧ケ岳

旧道からの一ノ倉沢。一ノ倉岳頂上は右側の背後に
積んである材木は冬の暖房用?上は国道291号の旧道

